プラハの旧市街の一角にユダヤ人街があります。
プラハとユダヤ人の歴史はかなり長く、複雑なのです。
第二次世界大戦前からもいろいろと迫害されたりしていたようなのですが、その辺りの説明は省略しますね。
ユダヤ人がプラハに住みだしたのが10世紀頃らしく、その後どんどんとユダヤ人がプラハに移住してきて、裕福なユダヤ人も沢山居たけれど、貧しいユダヤ人もそれ以上にいたようで、17世紀頃にはヨーロッパでは最大規模のユダヤ人ゲットーが出来たそうです。
その後、19世紀頃に薄暗くて不衛生だったユダヤ人のゲットーをきれいに新装するためにユダヤ人市庁舎と6つのシナゴーグ(ユダヤ人の集会所)とユダヤ人墓地を残して一掃したとのこと。
今のユダヤ人居住区のエリアはおしゃれなブティックなどがつらなり、 その当時の流行であるアールヌーボー建築の建物などがつらなりパリ通りと名付けられました。
確かにこの辺りには洗練された建物が沢山ありましたよ。
さて、シナゴーグの見学ですが、6つのシナゴークは残念なことにどれも中は撮影禁止でした。
どれもユダヤ人の古い歴史を物語っていましたが、そのうちのいくつかをご紹介します。(内装の写真はすべてお借りしています)
こちらは旧新シナゴーグです。
古いんだか新しいんだか、ややこしい名前がついていますが、13世紀半ばにこれが作られた当初は一番大きく新しかったので、新(大)シナゴーグと呼ばれていましたが、その後新しくいくつかシナゴーグが出来たので、旧新(Old New) シナゴーグと呼ばれるようになったそうです。
ここは現在も礼拝などで使われていて、現役のシナゴーグでは世界で最古のものだそうです。
中は狭くて暗く、洞窟の中に居るような雰囲気です。
そして、とても神聖な場所独特の空気が漂っています。
(写真はお借りしました)
こちらは、私としたことが何故か外観を撮り忘れてしまったのですが、スペインシナゴーグです。
19世紀に建てられたという内装はイスラム風にあしらわれた漆喰のアラベスク模様で、スペインのアルハンブラ宮殿を想像させるところからこの名前がついています。
ユダヤ人とイスラム人って、今ではイスラエルとその近郊のイスラム諸国を見てもわかるように仲がとても悪いのに、ユダヤ人のためのシナゴーグにイスラム建築の要素を取り入れるとは、この時代ではそれほど仲が悪かったわけではなさそうですね。
(写真はお借りしました)
(写真はお借りしました)
中もとっても素敵でしたよ~。
実は私はイスラム建築や装飾が大好きなのです。とてもエキゾチックですよね。スペインのアルハンブラ宮殿やトルコのイスタンブールのブルーモスクなども私の大好きな所です。
また、このシナゴーグでも頻繁にコンサートが行われます。
とっても雰囲気が良いでしょうね。
でもこのアラベスク様式の建物でクラシック音楽・・・なんだか不思議な気もしますが。
こちらはピンカスシナゴーグ。
このシナゴーグでは特に第二次世界大戦時、ナチスから迫害されたユダヤ人の展示があり、心が痛むとともに世界平和について考えさせられます。
(写真はお借りしました)
中の壁にはびっしりと第二次世界大戦でナチスに虐殺されたユダヤ人の名前と出生地、没年が書かれています。
そして2階にはナチスに占領された後、プラハから約50km ほど北に向かったテラジンというチェコ最大のユダヤ人強制収容所からの遺品などが展示品してあります。
テラジンの強制収容所の役目は、その後アウシュビッツへ送るための一時滞在施設でもあり、また外交的に良い印象を与えるための宣伝の場所でもあったらしく、子供達に沢山絵を描かせていたようです。
その当時の子供達が書いた絵の一部も沢山展示してあるのですが、確かに子供が書く絵なので、収容所のドミトリーの様子も楽しそうに見えなくはないです。(実際は狭く不衛生なドミトリーに100人以上も押し込められていたようですが)
でも、中には小学生低学年の子供が書きそうな絵風なのに、書いてある内容が処刑されている様子だったり、アウシュビッツに送られていく人たちの絵であったりして、言葉も出ませんでした。
チェコという国が美しいだけではなくて、いろいろ複雑な歴史があったのだということを再確認させられました。
なんだか重くて暗い内容になってしまいましたが、長くなったのであともう一度プラハ記続きます。
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